2009年6月30日火曜日

フォロワーシップ

フォロワーシップの類型


採用の絞込みや業務範囲の拡大に伴い、いわゆる「プレイングマネジャー」が周囲でも増えてきていることを実感する。

こうしたプレイングマネジャーが、リーダーとしてのキャリアを十分に積まないままに、結局仕事を手放せずに部下と仕事の取り合いになってしまう状態や、”リーダーらしさ”を過度に意識するあまり、妙にカリスマぶってしまう状態になることをたびたび目にする。

逆説的だが、リーダーとして組織の力を引き出すには、フォロワーとしてのキャリア(仕事以外でも構わないが)をしっかりと積むことが近道になる場合も多い。

本当にカリスマになれる場合をのぞいて、ほとんどのリーダーは調整型であり、周囲にフォロワーシップを発揮してもらうことこそが組織の力を引き出すことにほかならない。良いフォロワーシップとは、Clitical thinking(この場合、上司の指示について鵜呑みにすることなく妥当性を自らの評価基準によって判断し、必要な場合には諫言をも辞さない思考)、およびCommit(掲げられた目標を理解し、その達成のために名実ともに邁進する姿勢)を高い次元でバランスさせることとされる(フォロワーシップの提唱者である米カーネギーメロン大学のロバート・ケリー教授の定義)。

こうしたフォロワーシップを発揮しにくい環境かどうか、ということを最初に確認することが有用かもしれない。まずはcommitする対象となる、リーダーが語る夢・ビジョン・目標の”スケール”。短期での数値を求められ、個々人の評価にまで落とし込まれた目標では、やりがいを感じにくく、”組織としての目標”としても共有しづらい。そして何よりもcommitする相手は数字ではなく人間であり、リーダー自体の魅力すなわち自分自身が人間的に魅力のある人間なのかどうか、胸に手を当てて考えなくてはならない。

2009年6月29日月曜日

フローチャンネル

先日のセミナーで、「自分に負荷をかけることが成長の第一歩」という話が出たが、厳密には「我を忘れるほどハマる“没頭”(フロー)が充実感と成長をもたらす」というほうがよりしっくりくる。

”フロー”の概念はチクセントミハイが提唱しているが、能力と挑戦のレベルがつりあう状態において最も力が引き出される、という考え方だ。

とはいえ、「挑戦>能力」「挑戦<能力」という状態に置いても考え方次第で、誰しも自分の能力や目の前にある挑戦のレベルを全て正確に理解できるわけではないため、実際にはこの全てを行き来しながら成長していくことになる。

と、ここで昔RPGツクールという、自分でRPGを作るゲームがあったことを思い出す。敵キャラやシナリオ、武器や防具、ダンジョンなどの要素を自分で作ることができるゲームでそこそこ流行った気もするが、何より難しいのが「ゲームバランス」だった。

橋一つ超えたらモンスターのレベルが一気に上がって全滅・・・なんて話をするだけでドラクエ世代ならぴんとくるような気もするが、ドラクエのレベルアップがなぜ楽しいか?ということを考えてみると、このフローチャンネルの考え方ももっとシンプルに捉えられるかもしれない。強すぎず弱すぎず、というバランスの中で創意工夫しながら成長させていく、そして一定のレベルに達したら次のステージに向かい、またレベルアップに励むようになる。強い敵のいるところにあえていってみたり、弱い敵を一気に倒して爽快感にひたってみたり・・・

実際の職場では、挑戦のレベルを自分で定めることができない、と感じる人がいるかもしれないけれど、小さいことでも自分をフローの状態にもっていくことで、集中力を高めるとともに、日々の成長を高めていくことはできそう。ブログなんかがその最たる例かもしれないが・・・

2009年6月28日日曜日

西郷南州遺訓集

先日のMPIセミナーで山崎さんがあげていた「西郷南州遺訓集」は自分にとっても大事な本の一つで、大学生の頃から折を見ては読み返しています。

この西郷南州遺訓集、編纂は庄内藩によるものですが、なぜ庄内藩なのか、ということについてはあまり疑問を持つこともありませんでした。

それが変わったのは、大学3年の時に日米学生会議の事前準備として横須賀の防衛大学校の講義に参加したときのことでした。たまたま題材が「西郷南州遺訓集」を用い、「日本型のリーダーシップとは何か?」というテーマで防衛大学校生とディスカッションを行う、というものでした。

その時は自分が心理学専攻だったこともあり、「戦場における人間の心理」について、南極基地などの閉鎖空間における人間の関係性と、多重人格について発言したことをおぼろげながらに覚えています。



幕末における庄内藩と薩摩藩は仇敵であり、藩邸の焼き討ちや東北における戦いなどで対立関係は決定的なものになっていました。戦局の流れに伴い庄内藩は降伏することになり、薩摩藩との経緯を踏まえ、厳しい処分が下ることを予想していた庄内藩士にとって、予想外に寛大な措置(減封のみ)が取られたのでした。この背景には西郷の指示があったことから、手紙のやり取りや薩摩訪問などを経て、この本がまとめられていくことになったのです。詳しい内容は本を直接読むことをオススメしますが、個人的には、当時と今では、少し目に留まる箇所が変わってきました。

国家の大業
命ちもいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕抹に困るもの也。此の仕抹に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。去れども、个様の人は、凡俗の眼には見得られぬぞ


もう一冊、気合を入れたい時に読む城山三郎の「官僚たちの夏」がこの7月からドラマ放映されるようです。

2009年6月27日土曜日

再始動

サーバ不具合で以前のブログが消えてしまったので
移転して再始動します。